こうづじんじゃ
大阪府交野市郡津1-7-1
創建年代は不詳ながら、白鳳時代(656-710年)に交野地方で権力を奮っていた郡衙の郡司がこの地に大堂山長宝寺を建立し、奈良・平安時代にかけて「一の宮」とともに神仏習合の形で栄えていたようです。鎌倉..
創建年代は不詳ながら、白鳳時代(656-710年)に交野地方で権力を奮っていた郡衙の郡司がこの地に大堂山長宝寺を建立し、奈良・平安時代にかけて「一の宮」とともに神仏習合の形で栄えていたようです。鎌倉時代の初めに長宝寺は焼失し、その後再建されることもなく廃寺となり、「一の宮」だけが産土神として残りました。 古来、郡津地区には高野街道の西に住吉明神を祀った「二の宮」、大塚の丸山古墳の東に天照大神を祀った大神宮がありましたが、明治維新の神社統廃合でこれらの神々を「一の宮」に合祀し、名も「郡津神社」と改めて今日に至っています。 当社は明治5年に村社に列せられ、明治42年12月神饌幣帛料供進神社に指定されています。
素戔男尊、天照大御神、中筒男命、表筒男命、底筒男命、神功皇后
村社 神饌幣帛料供進神社