元禄時代、町方有志が時の奉行に願い出て「玉智稲荷大明神」と祀ったことに始まります。
その後寛政三年(1791年)九月四日、前夜来の風雨に続き津波がこの付近一帯を襲いました。
この時、ある住民が難を逃れようと「玉智稲荷大明神」の境内の銀杏の木によじ登ったところ、白蛇が現れ手首と銀杏の木の枝とを一緒に巻き絡めて助けてくれました。
そこで、町方有志は白蛇を亡くなられた多くの町の人々の魂であると思い「白龍大明神」として祀ることにし「玉智稲荷大明神」と一緒にして「二社大明神」として祀り上げたと伝えられています。
しかし、戦災により深川一帯は焼け野原となり二社神社も焼失してしまいました。
その後、町内の有志が二社神社を再建するに当たり「白龍大明神」と「塩窯大神」を一緒にして新たに「二社神社」として祀ることにし昭和二十五年(1950年)十二月二十六日遷宮式を行いました。
以来、町内の守り神として深い信仰を集めており毎年五月に祭礼を行っています。
古石場二丁目町会
(境内の『二社神社』の由緒より)