ながしまはちまんじんじゃ
三重県桑名市長島町西外面2107
社の創祀については詳にし難い。社伝によれば、寛元三年(一二四五) 後嵯峨天皇の御代に関白藤原道家が鎌倉より帰洛の途次、此の地の景勝なるをめで当地に八幡神を勧請されたと伝えている。その後天正一二年(一..
社の創祀については詳にし難い。社伝によれば、寛元三年(一二四五) 後嵯峨天皇の御代に関白藤原道家が鎌倉より帰洛の途次、此の地の景勝なるをめで当地に八幡神を勧請されたと伝えている。その後天正一二年(一五八四)織田信雄が戦勝祈願をなし、その賽謝として畠地を寄進したことが『尾州長久手合戦記』に記されている。近世には歴代領主の崇敬篤く、『三国地志』によれば松平良尚が産土神として社域を拡張寄進し、延宝八年(一六八〇)には吉川惟足により神体勧請が行われ、摂末社に至るまで修造がなされたと伝えられている。
《主》応神天皇
祈年祭・小祭・新嘗祭
有り
無し