はちまんじんじゃ
三重県津市美杉町奥津 1238
当社は、伊勢国司北畠顕能卿の創建で、文和二年(一三五三)山城国男山八幡宮より分霊を奉じてここに奉祀せられたもので社殿は三社相殿として正面に譽田別尊、左に大兒屋根命、右に大日 貴命を斎き、八幡宮と称し..
当社は、伊勢国司北畠顕能卿の創建で、文和二年(一三五三)山城国男山八幡宮より分霊を奉じてここに奉祀せられたもので社殿は三社相殿として正面に譽田別尊、左に大兒屋根命、右に大日 貴命を斎き、八幡宮と称した。当社は、北畠氏累代の祈願所であったことから、後醍醐天皇の崇敬も厚く、時に勅使をして奉幣せしめられ、建徳年(一三七〇~七一)中、長慶天皇も参詣されたといわれる。奥津、石名原の信仰も深かったという。慶安二年(一六四九)一〇月、当社の別当崇福寺より失火、本殿及び附属建物等悉く焼失したが、近衛信基公の筆になる神号扁額は、本社から二町をへだてる鳥居に揚げてあり、焼失を免れて今も当社に在る。現在の本殿は、慶安四年(一六五一)に再建したものであるという。
《主》誉田別尊,大日孁貴命,天児屋根命,大鷦鷯尊,大山祇神,火之迦具土神,須佐之男命,宇迦之御魂神
本殿(三重県指定文化財) 慶安4年(1651)
無し