とっとりじんじゃ
三重県員弁郡東員町大字鳥取 1457
『員弁雑誌』に、「鳥取神社延喜武内、村の内字川中島と云所に在り、本社東向、拝殿在、祭神は諏訪大明神なりと云う。『布留屋草紙』曰、北山田神明帳鳥取神社祭神角凝魂命、鳥取部連祖神也と云々。『北勢古志』曰..
『員弁雑誌』に、「鳥取神社延喜武内、村の内字川中島と云所に在り、本社東向、拝殿在、祭神は諏訪大明神なりと云う。『布留屋草紙』曰、北山田神明帳鳥取神社祭神角凝魂命、鳥取部連祖神也と云々。『北勢古志』曰、祭神鳥取神社は角凝魂命也と云う、然るべし一村産土神として祭る、例祭九月九日。(以下略)神明宮 宇長野に在り。山神二社 何れも小祠也」とある。明治三九年(一九〇六)の『神社明細帳』に、「鳥取神社 祭神天湯河桁命、合殿として諏訪社(祭神建御名方神)あり、由緒、勧請年月不詳、右由緒の儀は古老伝に云、諏訪社は鳥取神社の御子なりと云う、此以て考ふるに建御名方神は大国主の御子なり、天湯河板挙命は垂仁天皇の御宇なり、時代 異なり鳥取神社の旧社地の字を古宮と云う、其傍に御子の古宮と称する字あり、天正の兵火の後に現今の地へ転移するものならんか、宇古宮と申す辺は員弁寺三百坊の地なり、三百坊の古跡悉くは不存と雖も半は房号の字を存す、此地を都で三百坊と云う、然らば鳥取神社は員弁寺の類焼なり、古宮御古宮と称する地名と古老の伝とて考証するに、天湯河板挙命の御子と称するは建日方命なり、伊勢国の人なり、後世建日方命と建御名方命とを誤り伝へて諏訪社と申すものならんか、天湯河枚挙の御子なれば御父命の社を建て祀り給へるは宜なるかな。□□別の社あれども天正後に合殿に祀るものか、創立仁和三年(八八七)七月二七日とある。尚、蔵する棟札に宝暦二年(一七五二)申七月二七日のものがある。
《主》天湯河桁命 《合》天照大御神,大山祇神,市寸島姫命,宇迦之御魂命,大国主命,火産霊神,建御名方命,
歳旦祭 奉告祭 祈年祭 野上り祭 中元祭 秋祭(例祭) 新嘗祭 大祓
有り
無し