ひやまじんじゃ
三重県多気郡明和町大字行部 242
当社の創始については、詳らかでないが、江戸時代には八王子と称し、旧来土地の産土神(うぶすながみ)として、氏子の崇敬を集めてきた。明治5年に桧山神社と改称、一説に村名の行部は、伊福部に通じ、 古 その..
当社の創始については、詳らかでないが、江戸時代には八王子と称し、旧来土地の産土神(うぶすながみ)として、氏子の崇敬を集めてきた。明治5年に桧山神社と改称、一説に村名の行部は、伊福部に通じ、 古 その地を開いたのが、伊福部(または五百木部)であり、彼らが自らの奉ずる祖神、天火明命(あまのほあかりのみこと)を、当地に奉斎したといわれる。祭日は旧暦で11月19日であったが、明治末頃より12月19日に変更。昭和26年2月7日に境内社として、慰霊社が新設され、戦没者の英霊23柱を祀る。
《主》久久能智命
例祭12月19日 祈年祭2月7日
無し