はたじんじゃ
三重県津市一志町庄村 256
当社は延喜式内社伊勢国一志郡一三座の一で醍醐天皇の延喜二七年(927)延喜式成立時には既に奉斎されていたものである。また神社名(波多)は「和名抄」の「一志郡八太八の郷」の八太「神鳳抄」に「八太御厨房..
当社は延喜式内社伊勢国一志郡一三座の一で醍醐天皇の延喜二七年(927)延喜式成立時には既に奉斎されていたものである。また神社名(波多)は「和名抄」の「一志郡八太八の郷」の八太「神鳳抄」に「八太御厨房 上分田五十所 当米廿五石」とある地名で「三国地誌」にも「神祇式・万葉集倶作波多」とある波多である。八太氏の一族がこの地に勢力を張った古代においてこの一族の氏神として祀られたと諸書に見えている。これらから推しはかれば、創立は当区古墳時代にさかのぼるとも思われる。当社はまた「竜王宮」とも「竜天宮」とも称えられ当社東方の波瀬川に掛る橋を竜天端と称えている。境内入口には「元禄年」明の鳥居が立っている。明治四年七月郷社に列せられ同四四年には村内の大小祀を合祀しているが小山熊野神社・片野神明神社は今も飛地境内社としてそれそれの地区の尊崇を集めている。
《主》大日孁命,《配》少名毘古那命《合》須佐之男命,多紀理比売命,市杵島比売命,多伎都比売命,正哉吾勝勝速日天忍穂耳命,天之菩毘命,天津日子根命,活津日子根命,熊野久須毘命,
式内社(小)論社
無し