せきやてんまんぐう
東京都足立区千住仲町48-2(仲町氷川神社内)
(境内由緒書より) 鎮座のはじめは、村上天皇の時代、天暦三年の二月(949)で御神体は菅公の自作百体彫刻の内の一体であると伝わり、元関屋の里に在って、関屋天神と申しました。 新編武蔵風土記 文..
(境内由緒書より) 鎮座のはじめは、村上天皇の時代、天暦三年の二月(949)で御神体は菅公の自作百体彫刻の内の一体であると伝わり、元関屋の里に在って、関屋天神と申しました。 新編武蔵風土記 文政十一年(1828)の編纂によれば、源頼朝が奥州平定後の防御の地として千住の地に関所を設けたことにより、関屋の地名が起きたといわれ、この地はその昔、名主庄左ェ門の所有地で、この辺すべて水田や茅野でしたが、度々の出水により、天明七年八月(1787)当社内に御遷宮されました。その跡の印として小祠を建て和歌の名所に「関屋の里」と詠まれたのはこの辺りと思われます。また塚の周囲の葦がみな片葉であった為に、片葉の天神ともいわれていました。 古くから学業成就の神として里人に親しまれています。
菅原道真
北千住駅から徒歩約10分
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