うきひじんじゃ
三重県松阪市嬉野上小川町 1724
当社は、古くから小川郷に奉斎されてきた神社であったが、応永九年(一四〇二)に大洪水おこり、御神体が川下の宮野村まで流れるという災難にあったが、それを拾って現地に祀ったという。御祭神は八王子と称して、..
当社は、古くから小川郷に奉斎されてきた神社であったが、応永九年(一四〇二)に大洪水おこり、御神体が川下の宮野村まで流れるという災難にあったが、それを拾って現地に祀ったという。御祭神は八王子と称して、延喜式内社との言い伝えがあったが、明治三年の神社取調べの際、紀州藩神社取調べ係の調査を受け式内社に比定するのは根拠に乏しいということであった。祭神八王子は八柱神であるというところから、宇氣比神社と改称したとのことである。後、明治九年九月にも、教部省の命で式社取調べがあり、度会の住御巫清直の精査をうけている。その時、棟札数枚が発見されている。応永一二年(一四〇五)銘 永享一〇年(一四三八)銘 寛永一九年(一六四二)銘 明暦一一年(一六五六)銘 寛文一一年(一六七一)銘など
《主》木花開耶比売命,仁徳天皇,地主神,大山祇命,応神天皇,建速須佐之男命,火具津智命,宇加魂命
祈年祭 野上祭 例祭 新嘗祭