当社は延喜式内社で、祓所の霊神 速佐須良比売命を主祭神とする。垂仁天皇一八年、勅命によって今の千里ケ丘中尾前の地に神殿が建てられていたが鎌倉時代の後期に至って里人と共に現在地に移ったとみられている。霊験あらたかなとことから、天武天皇より「尾前土宮」の宮号を賜り、一名「土御前」と号した。更に後鳥羽天皇の御宇には、「奄藝祓所」の称号を受けている。宝物となっている獅子頭二口は、高倉天皇の御代に、朝廷から献じられたものと伝えられている。上野の城主より社領として米五石を受領している。明治維新に際し、天皇は神宮に参拝の帰途、勅使に代参を命じられたとの記録がある。明治末の神社合祀例によらず、一社として今に続いている。