おおかみやけじんじゃ
三重県鈴鹿市池田町 14
社伝によれば久安三年(一一四七)伊勢国河曲郡一ノ宮村大字池田へ建立と伝へるのみである。江戸時代に入り「津藩明細帳」に「池田村大鹿三宅神社式内……」とあり、『式内社調査報告』には「この記述は当社所蔵の..
社伝によれば久安三年(一一四七)伊勢国河曲郡一ノ宮村大字池田へ建立と伝へるのみである。江戸時代に入り「津藩明細帳」に「池田村大鹿三宅神社式内……」とあり、『式内社調査報告』には「この記述は当社所蔵の棟札によって記述されたようである。」と述べている。又同書は鎮座地についても、大鹿氏と神宮との関係及びその活動範囲を国分から山辺、神戸に及ぶ地域としており、当社も大鹿氏との関係に於いて奉斎された神社の一つとして近郷の人々の崇敬を集めていたことが理解される。明治四一年池田町地域の山神社三社、菅原社、伊奈利社等を合祀して、現在に至っている。宝物等 『式内調査報告』第七巻(昭和 五二年皇學館大學出版部刊)一五〇ページ大鹿三宅神社には、明治一二年の上申書に より棟札一枚 文禄二年(一五九三)三月在銘が記されている。
《主》香山戸神,《合》菅原神,保食神,大山津見神
10月体育の日の前の日曜日 湯の花神事