おおいじんじゃ
三重県鈴鹿市山辺町 232
当社の創祀については詳かにし難いが、『式内社傍注』に始まり、『武内社考証』『徴古録』『三国地志』等では式内社と記録している。その論拠は、社名の大井を『万葉集』で歌枕として著名な山辺の御井であるとし、..
当社の創祀については詳かにし難いが、『式内社傍注』に始まり、『武内社考証』『徴古録』『三国地志』等では式内社と記録している。その論拠は、社名の大井を『万葉集』で歌枕として著名な山辺の御井であるとし、その所在を当郡山辺町であると推定することに拠っている。江戸時代においては、牛頭天王社或いは若宮八幡社と称し、俗に天王と称していたようである。現在所蔵されている二一枚の棟札によると、江戸・明治・大正・昭和を通じ数多くの社殿造営が行われ、人々の崇敬の篤さを知ることが出来る。慶応三年(一八六七)神戸藩生木多恵貫は境内裏のつつみ井に「山辺の御井の碑」を建立している。明治四一年(一九〇八)境内社の若宮八幡社、山神社を合祀し、同四四年三月河田町の川神社に合祀された。しかし地元氏子の総意により昭和二六年(一九五一)分祀され、現在に至っている。宝物等 練札二二枚(寛永七年《一六三〇》・文政一三年《一八三〇》・ 文政四年《一八二一》・文政三年・貞享五年《一六八八》・文化元年《一八〇四》・明和二年《一七六五》・天保一五年 《一八四四》・寛保元年《一七四一》・享保一三年《一七二八》在銘)、この他明治・大正・昭和在銘のものも存する。神鏡二面 小絵馬数枚 常夜燈二対 狛犬一対 特記事項 昭和二七年(一九五二)名古屋大学考古学教室により、裏の崖から八世紀頃の墓地と認められる「山辺の横穴」が発見されている。
《主》建速須佐之男命,《配》大雀命,天照大神,御井神
例祭10月、祈年祭2月、天王祭(7月)