やえがきじんじゃ
三重県鈴鹿市十宮町 619
当社の創祀並に由緒については 詳かにし難い。しかし、鎮座地の十宮町一帯は鈴鹿川沿岸にあり、中世文書に富官とあり、古くより開けた地域である。一説には古代豪族大鹿氏の拠点に近く穀倉地帯をなし国府にも近く..
当社の創祀並に由緒については 詳かにし難い。しかし、鎮座地の十宮町一帯は鈴鹿川沿岸にあり、中世文書に富官とあり、古くより開けた地域である。一説には古代豪族大鹿氏の拠点に近く穀倉地帯をなし国府にも近く地理的にも便利なため、伊勢十ノ宮ではないかとも言われている。(『河曲村春秋』)史料に乏しく、これ以外 は全く不明である。明治四〇年(一九〇七)、無格社日吉古社以下九社を合祀したが、同四四年には河田町の川神社に合祀されたが、昭和二六年(一九五一)、氏子崇敬者の総意により川神社より現鎮座地へ分祀され、現在に至っている。10月例祭に、湯立神事が行われる
《主》建速須佐之男命,《配》天照大御神,伊弉冉尊,品陀和気命,大山咋神,伊都之尾羽張神,保食神,菅原道真,国狭槌尊
例祭(10月) 祈年祭(3月)