寿永年問(1182~)に伊勢神宮の大麻が諸国に頒布された時、この神宮大麻を納めた樺を一時この地に安置し、村民らが仮殿を設けたのが始まりといわれているが、寛政2年(1461)の創建であるとも伝えられる。
天正年間(1573~)に、羽柴秀吉の三木城攻めの際に兵火にかかり焼失。
永らく石の祠のままで荒廃していたが、文久2年(1862)、前北甚兵衛・森甚七・森清太らが中心となり伊勢神宮に摸した現在の社殿を造営し、戎屋利作が神馬像を奉納。拝殿右横に奉安されている彫刻家芝良空作の神馬像は2代目で、有野郵便局長であった前北三二氏が奉納したもの。
江戸末期まで神社名を「神明社」とするが、文久2年の新社殿建立に伴い「天照皇太神宮」に改称した。しかし、明治6年(1873)に「中尾神社」と改められた。
明治5年の学制発布により、明治6年(1873)には境内に中尾小学校が開設され、近隣5地区(五社・西尾・切畑・掘越・柳谷)の児童がここで学んだ。学舎は廃寺となった西尾寺の建物を解体移築したものであったが、明治8年(1875)有野小学校が開設され、閉鎖。