勧請由来書によると、天正六年(1578年)八月十三日、当群辻村八幡宮(現:吉舎町辻)の八幡神社御祭礼の節、当村本郷の梶屋と宮本甚左衛門の両人が御神輿と御神幣を持ち帰り丸田村飛石のところまで来たところ、御神輿を取り返されたが、御神幣は池田金剛免の宮太郎と奥垣内の伝三郎の両人が取り帰った。池田寺畦と申す所へ勧請しようとしたとろこ、本郷の者が村の中程に勧請したいと言い、相談の上、本郷宮本に社地を定め、以来祭礼の節は御神幣を金剛免の者が持ち帰り、その外一切は池田寺町先達に相定まった。その後、社地が寄進され、本殿が創建された。現在の本殿は安永三年(1774年)新築され、それまでの旧殿は拝殿とされて現存する。