みせがわやはしらじんじゃ
三重県度会郡大紀町三瀬川 55
当神社はもとより旧三瀬川村大西廣55番地に鎮座し、その経緯は詳かではないが産土神として尊敬され、明治4年神社御取調べの際より八柱神社と奉称されていた。明治40年12月9日許可を得て旧滝原村大字野後字..
当神社はもとより旧三瀬川村大西廣55番地に鎮座し、その経緯は詳かではないが産土神として尊敬され、明治4年神社御取調べの際より八柱神社と奉称されていた。明治40年12月9日許可を得て旧滝原村大字野後字天野425番地の1に鎮座せる御社岩滝神社に合祀される。明治42年3月5日岩滝神社は大字阿曽八柱神社を合併し大字野後字長者野に移転大滝神社と改称され毎年12月10日例祭を執行されていたが、鎮座地が地勢上一般人家に離れていたため自然に参拝者も少なくなっていたところ、昭和20年8月大東亜戦の終戦以来境内は日増しに荒廃し、神社の尊厳にとって崇敬者に及ぼす影響が極めて大きいことを憂慮。氏子総代等考慮の末氏子に計りその総意に依り昭和34年3月25日許可得て由縁深き現在の大紀町三瀬川字大西廣の元の宮地に移転合祀するに至った。
《主》正勝吾勝勝速日天忍穂耳命,天穂日命,天津彦根命,活津彦根命,熊野櫲樟日命,田心姫命,湍津島姫命,市杵島姫命,倉稲魂神,素盞嗚命,金山彦命,大山祇命