がんしょうじ
佐賀県佐賀市呉服元町6−5
慶長5年(1600)関ヶ原合戦のとき、後の佐賀藩初代藩主鍋島勝茂は、西軍(豊臣方)に加わったが、敗北し進退に窮した。この謝罪について、西本願寺の准如上人などが中に入り、佐賀藩は事無きを得た。その恩顧..
慶長5年(1600)関ヶ原合戦のとき、後の佐賀藩初代藩主鍋島勝茂は、西軍(豊臣方)に加わったが、敗北し進退に窮した。この謝罪について、西本願寺の准如上人などが中に入り、佐賀藩は事無きを得た。その恩顧に報いるため創立されたものである。それ以後、肥前領内の真宗寺院並びに門信徒はすべて西本願寺派となり願正寺はその中心寺院として、肥前国総道場と称された。現本堂は1702年に建立。
有り