前身は、祥雲寺瑠璃光寺と言う堂宇で開基は久野和尚、御本尊は薬師瑠璃光如来を祭ったと言われております。 慶長15年(1611)9月、仁賀保禅林寺(本寺)14世心翁全達夫生を請し開山に迎え、羽後国由利郡川辺郷笹山館に伽藍を建て大雄山祥雲寺と寺号を改め創建しました。 元禄9年(1695)4月現在の地、城内の領主生駒公の招きにより、同地拝領、当時の住職6世威振用全和尚の時に移転された。移転に際し、開山時の観音様は笹山館砂子沢に置き、須郷尻にある寺有田地を付されました。 薬師瑠璃光如来は寺と共に移されましたが、14世悦宗豊典和尚の代、寛永9年(1798)4月隣刹雷火の為全焼、当寺も類焼しました。21世泰禅実宗和尚の代、嘉永2年(1850)正月元旦に失火の為全焼、25世教顔秀豊和尚の代、明治19年(1887)3月、小田よりの出火で当寺又々類焼の難を蒙った。90年の間に三回災火に逢着せるは、実に悲痛の極みであったと思われます。 戊辰の役当時、住職が庄内出身であったため、庄内藩新整隊二士の墓があります。