不詳ではあるが、新編武蔵風土記稿によると、現在の領家地区に「村持稲荷社五社(文政五年西暦1822年)」武蔵国村誌には稲荷社八社が記録されている。当社はそのうちの一社とみられ、室町時代から江戸初期の創建と考えられる。また、日蓮宗本覚山実相寺境内に鎮座せる三十番神堂が明治初年の神仏分離に伴い移築され、その際三十番神の中から稲荷神を合祀するなど、村の鎮守様としての格式は高く、広く信仰されている。
明治六年村社に列せられ、明治四十年七月一日には、堤根稲荷社、高の原稲荷社、山田稲荷社、菅原稲荷社、内菅原稲荷社、掫木の原稲荷社、外菅原稲荷社、後田稲荷社、町田稲荷社の九社と、香取社、天神社、第六天社など計三十二社を合祀している。また神仏分離により今では境内社となった三十番神社は、氏子中の人々から「番神様」と呼ばれて敬愛され、内陣には今も昔ながらの三十神の神像が奉安されている。
現在の本殿・拝殿は昭和三年上棟、昭和四年四月二十九日には六丁・花之枝・前耕地の氏子総出で遷宮式が行われた。その後幾度かの増改修が行われ、五穀豊穣、家内安全、商売繁盛の祈願を斎行し今日に至っている。(境内掲示より)