享保十二年(1728年)五月大垣藩戸田家四代藩主氏定公、五代藩主氏長公兼ねてより大垣城鬼門として神社の建立を祈願し家臣大谷、浅野両名に命じ高屋村(現栗屋町)地内に稲荷社を勧請し遮那院法印勝憧に遷宮を行なわしたのが始まりです。
以後歴代藩主の帰依も篤く藩直属の神社として御家中は勿論町民の守護神として崇敬されて来ましたが明治維新の廃藩、神仏分離で栗屋町、中町に神社の祭典修理が移り地震戦災等にも一早く復興され両町の崇敬の神として奉賛してきました。
尚、境内社として明治十年中町遮那院より宇野神社を移し祭られております。