長尾山平福寺は、高野山真言宗のお寺です。創建は寺伝によると長徳年間(995年~99年)である。その後、この地で勢力を広げた西牧氏の庇護を受け、住吉一帯の霊場となった。室町末期の戦国の世になると戦火に見舞われ堂宇を消失したが、天正3年(1575年)武田勝頼によって再興された。江戸期には松本藩主の祈願寺として厚く信仰され、藩主が祈願に訪れると共に、歴代の住職が松本城に登城して祈祷を務めている。また、「長尾のお観音様」として人々に広く親しまれ嘉永2年(1849年)のご開帳には、松本平一帯から大勢の人々が参詣した。末寺として泉光寺(南小倉)、法輪寺(氷室)、日光寺(下鳥羽)、観音寺(田多井)、長松寺(南大妻)、小林寺(上堀金)の六ヶ寺をもっていた。このころの境内は45999坪(約15ha)の広大な広さで「松、杉、桧などの大木が茂り昼なお暗く林の中で吹き渡る爽やかな風は、煩わしいことを忘れさせ、まるで仙境にいるようだ」と言われ、本堂、客殿、庫裏、山門、仁王門、経蔵、鐘楼、納屋、隠居家など多くの建物が立ち並んでいた。この多くの建物は、明治5年廃仏毀釈により観音堂を残し処分され廃寺となったが、同年18年観音堂を中心に再興された。