覚恩寺の鎮守。この寺の由緒は不詳だが、平安時代の木像薬師如来像や鎌倉時代の阿弥陀如来像を安置する。薬師如来像は近くにあった法楽寺の本尊だったと云う。
『吾妻鑑 腰越状』から
義経身体髪膚を父母に受けて、幾時節を経ず、故頭殿(源義朝)御他界の間、みなし子となりて、母の懐中に抱かれ、大和国宇多郡龍門の牧に赴きしより以来、一日片時も安堵の思いに住せず、甲斐なき命の許に存りといへども、京都の経廻難治の間、諸国に流行せしめ、身を在々所々に隠し、辺土遠国を栖となして、土民百姓等に服仕せらる。どうやら常磐御前の生まれ故郷だったようだ。