勧請年月不詳。『天明四年(一七八四)の御領内控記』に「神社八ケ所 権現・天神宮・天王宮・天白宮・山神二社・石仏宮」とある。また『明治五年(一八七二)の村明細帳』に「神祠は神明宮・田中之神社・天神宮・天白宮・山神三・火産靈神社・八幡宮・熊野大神」とある。『員弁雑誌』には、「神明社 村の西南に在、本社東向拝殿 鳥居在、村の産土神也、例祭九月一五日。天満宮神明宮の東、井水の辺に在、小祠。牛頭天王 天満宮の車井水の辺に在、社頭東向小祠也、神林の内に楓多く紅葉美観なり。天白大明神 小祠なり。八幡宮 小祠也、当社は当村江上一党の鎮守也。」とある。『神鳳抄』に麻生田御厨一五丁三石・『外宮神領目録』に麻生田御厨壱石五斗と在り、伊勢の神宮の御厨の地で古くから神明宮を中心として多くの社があった。又、六把野井水の源の地に祀る社として、その恩恵をうける一三ヶ村の人々の敬仰をあつめていた。