勧請年月不詳。員弁川支流田切川の東にある。『文政七年(一八二四)村明細帳』に、「神祠に八幡宮・山神あり」とあり、『明治五年(一八七二)の村明細帳』に「社寺に田切八幡・山神・溜水神社・水神・走井社・地蔵堂あり」とある。『員弁雑誌』に「八幡宮 本社東向拝殿鳥居在、小社在南向。山神社村の南に在り、南向小社なり」とある。近年枯損して伐採された杉の大樹の年輪が六〇〇年以上であった事がらも、古くからこの地に鎮座して下平村の氏神であったことがうかがわれる。 境内には應神天皇を主神とする八幡宮と、境内社として火産靈社があったが、山神社・水神社と共に合祀された。この水神社について『続員弁雑誌』には次の記述がある。「水神社 下平京ケ野畑田新田、井水路天保年中(一八三〇~四四)に落成し、その際勧請する処なり、願主加藤四郎太郎・川瀬儀左衛門建立す、現今は八幡神社境内に移し祀るヽ北向にあり小祠なり、祭日三月九日なり」と。