勧請年月不詳。『文政七年 (一八二四)村明細帳』に、「神祠に氏神・山神あり」とある。『員弁雑誌』には、「産土神社地高寺の東に在り八幡宮と云ふ。『伊勢国式内神躰考』曰員弁郡一〇座の内飯倉村かと云々。『式内名地考』曰石神社御食津姫在于飯倉村と云々。『勢陽雑記拾遺』曰石神社式内也石部郷飯倉村に在り云々」とある。又、『員弁郡郷土資料』には、「石神社、飯倉村字貝戸にあり、祭神は伊毘志都幣神にして創立年月不詳なれども、本社祭神は出雲国飯石郷に鎮座の飯石神社の神なり、合祀の一座は豊宇気毘賣神にして員弁郡式内一〇座の一なりとす」とある。 いずれも当社は員弁郡式内一〇座の内の石神社であるとしており、古い社である。