観音寺は、元和元年(1615年)に開創されたと伝えられています。明治43年の大水害では、本堂が床上浸水したため、樽を二つ並べてその上に本尊を置いて一晩中守ったという話が残っています。また、観音寺には、釣鐘が二つあります。戦時中は、武器を作るため、釜や銅像などの金属を供出させられ、観音寺も例外ではありませんでした。しかし、幸いにも鐘はつぶされることもなく、約40年を経た昭和58年に、浮間に帰ってきたのです。現在使われている鐘は戦後作られたものです。(北区刊行ガイドマップより)
(浮間村)観音寺
新義真言宗、川口町錫杖寺末、無量山妙智院と云。本尊不動を安ず。開山の僧を秀盛と呼べり。享保7年5月9日寂せり。
衆寮。
観音堂、正観音を安ず。行基の作なり。
鐘楼、近き頃造りし鐘をかく。(新編武蔵風土記稿より)