かすがじんじゃ
三重県名張市矢川 691
『三国地誌』に「壬申の乱に天武帝此の地に到り玉ふとき、本邑田辺某夢の告ありて出迎ふる時に春雨頻りに降り大水漲りて如何ともすることなし。然るに白鹿忽然と来り帝を乗せ奉りて水を済すと。社の西に涯あり。一..
『三国地誌』に「壬申の乱に天武帝此の地に到り玉ふとき、本邑田辺某夢の告ありて出迎ふる時に春雨頻りに降り大水漲りて如何ともすることなし。然るに白鹿忽然と来り帝を乗せ奉りて水を済すと。社の西に涯あり。一統後勅あり。春日の神をここに祀り鹿高明神と称す」とあり、この鹿高明神が当社である。貞観九年(八六七)創始とする一書もある。また、当社が古社である証左として「三代実録」に貞観一五年(八七三)九月一九日名張郡鹿高神に従五位下を授けた記事が挙げられる。いつの時代にか当社は春日神社と称するようになった。明治四〇年、大字矢川無格社山神社、同金比羅神社を合祀、次いで翌年三社を合祀した。龍口の白山神社と上之谷の白山神社は、昭和二四年元地に分祀され旧に復した。
《主》天児屋根命,大物主神,大山祇神,天照大御神