くにつじんじゃ
三重県名張市滝之原 599
社伝によれば、延暦年間(七八二~八〇五)に桓武天皇が六六社の国津明神を勧請され、伊賀国の豊穣を祈願された折り祀られたとされている。また、主祭神の大己貴命は、大和三輪明神の分霊とも伝えている。しかし、..
社伝によれば、延暦年間(七八二~八〇五)に桓武天皇が六六社の国津明神を勧請され、伊賀国の豊穣を祈願された折り祀られたとされている。また、主祭神の大己貴命は、大和三輪明神の分霊とも伝えている。しかし、当社鎮座地は伊勢神宮の神領であった六箇山一帯にあり、いつしか大己貴神を祀る国津神社として名居神社より各村に分祀された一社であろう。天正年間(一五七三~一五九一)には、伊賀の乱により社殿をはじめことごとく焼亡している。現存する棟札のうち最古のものには慶長年間(一五九六ー六一四)の紀年銘があり、この時期に再興されたことが判る。江戸時代には、近郷の氏神として人々の崇敬を集めた。明治四一年(一九〇八)大字滝之原内の九社を合祀した。
《主》大己貴命,《合》天之御中主神,高皇産霊神,神皇産霊神,建速須佐之男命,宇迦能御魂神,火之迦具土神,大山祇神,応神天皇,大綿津見神《配》八重事代主神,猿田彦大神