はちまんじんじゃ
三重県名張市赤目町星川 485
当社の創祀については、詳らかにはし難い。社伝によれば、天正九年(一五八一)天正伊賀の乱に際し織田信長により、焼亡せしめられたと伝える。その後、慶長六年(一六〇一)社殿が再興されたことが星川阿弥陀院所..
当社の創祀については、詳らかにはし難い。社伝によれば、天正九年(一五八一)天正伊賀の乱に際し織田信長により、焼亡せしめられたと伝える。その後、慶長六年(一六〇一)社殿が再興されたことが星川阿弥陀院所蔵の棟札によりわかる。社殿の造営は、寛文二年(一六六二)にも行われている。江戸時代を通じ近郷の氏神として人々の崇敬を集めた。明治四一年(一九〇八)、赤目町柏原の村社勝手神社に合祀された。昭和二六年(一九五一)氏子・崇敬社の熱意により、勝手神社より分祀復座し現在に至っている。
《主》応神天皇《合》大物主命,大山祇神,五男三女神