はちまんじんじゃ
三重県名張市赤目町丈六 324
当社は1350年(観應元年)岩清水八幡宮より分社した社であり、京より神輿にて現在地に遷座された。江戸時代に著された伊勢・志摩・伊賀国の代表的地誌である『三国地誌』には当地の士族・平井城内が神田を寄与..
当社は1350年(観應元年)岩清水八幡宮より分社した社であり、京より神輿にて現在地に遷座された。江戸時代に著された伊勢・志摩・伊賀国の代表的地誌である『三国地誌』には当地の士族・平井城内が神田を寄与し、祭祀が営まれたことが記されている。しかし、織田軍の伊賀攻めにより平井氏は滅亡、当社も兵火に落ちた。しかし、当時の社人なるものが神霊を捧げ、御神体を奉じてケヤキの大木の下に神体を安んじたという。そして、世の中が平静になるのを待ち、社殿を再建、祭祀を復興した。現在もケヤキの大木は現存しており、樹齢約七百年の御神木となっている。
《主》応神天皇,宇迦能魂神,大物主神,天照皇大神,《合》豊玉姫命,国常立命,天押雲命,大山祇神,五男三女神,建速須佐之男命
秋祭(体育の日)前日は宵宮