いっきゅうじんじゃ
三重県名張市夏見字坊垣 3375-1
神社神明帳によれば、「金山比賣神は、寛文年中一ノ宮村敢國神社分霊を奉祀せるものにして延實六年一社を設け一宮と称し当地において崇敬す。」とある。 また、坊垣地区に伝わる古文書によると、「去る壱千有余年..
神社神明帳によれば、「金山比賣神は、寛文年中一ノ宮村敢國神社分霊を奉祀せるものにして延實六年一社を設け一宮と称し当地において崇敬す。」とある。 また、坊垣地区に伝わる古文書によると、「去る壱千有余年前に阿拝郡府中村大字一ノ宮に御鎮座國幣中社敢國神社を分霊なり而して御祭禮致す」とあり、更に、「天正八年の伊賀乱の異変に遭遇し、当時を偲ぶもの悉く無くすも、明治二二年一〇月当地に、崇敬者一同の篤志により再建する」とある。神社明細帳によれば、「菅原道眞は、凡そ一九〇余年前北野天満宮の神札を受帰り当地に祠を設け一宮神社の境内社として祭祀する」とある
有り