ほんがんじかなざわべついん
石川県金沢市笠市町2番47号
親鸞聖人が越後へご流罪になられた道筋を 本願寺第三代覚如上人はご巡錫になられました。その折に一学の草庵をしつらえて本源寺と名づけられ、第二代如信上人の十三回忌をおつとめになったことに当別院は始まる..
親鸞聖人が越後へご流罪になられた道筋を 本願寺第三代覚如上人はご巡錫になられました。その折に一学の草庵をしつらえて本源寺と名づけられ、第二代如信上人の十三回忌をおつとめになったことに当別院は始まると伝えられています。 その後、第五代綽如上人、第七代存如上人の巡化があり、文明 3年(1471)第八代蓮如上人は吉崎に坊舎を建立されてからしばしば金沢へ足を運ばれました。第十代証如上人は金沢御堂(尾山御坊)とされ、阿弥陀如来像・親鸞聖人御影・実如上人影像・金泥名号・親鸞聖人絵伝・聖徳太子絵像・七高僧絵像を下附されました。 やがて天下統一の動きは織田信長と本願 寺との石山合戦などとなり、尾山御坊も佐久間盛政により攻め滅ぼされました。前田利家が金沢へ入城して、城の後町(今の彦三・尾張町付近)に尾山御坊復興の寺地を寄進し本堂が建立されました。第3代加賀藩主前田利常は石川郡安江村に寺地を寄進しました。これが現在の別院のもとであると伝えられています。 やがて数度の火災や天災に遭い、鳥有に帰しましたが、加賀・能登・越中のお寺や門倉徒の御憩念により現在の本堂が再建され、種々の堂宇が整備されました。
浄土真宗
本願寺派
本願寺別院
1339年(延元4年)
阿弥陀如来
無料
有り