けいりんじ
大阪府堺市中区八田寺町59
当寺は清光山華林寺と称し、高野山真言宗に属します。飛鳥・奈良時代の高僧行基(668~749)が13才の時、母方の蜂田連が寺として創建したので蜂田寺とも呼ばれていました。 慶雲3年(706)、行基が..
当寺は清光山華林寺と称し、高野山真言宗に属します。飛鳥・奈良時代の高僧行基(668~749)が13才の時、母方の蜂田連が寺として創建したので蜂田寺とも呼ばれていました。 慶雲3年(706)、行基が39才の時、母親供養のために華林寺(花林寺・蜂田寺)を再興したとされます。 その後、当寺は南北朝の乱や、戦国時代の兵火によって衰退、慶長19年(1614)大坂冬の陣の戦火で焼失しましたが、延宝7年(1679)に僧広恵が中興しました。 本尊は厨子入り薬師如来坐像で、前立ちに薬師三尊像を、その他に阿弥陀如来像、大日如来像、不動明王像、行基菩薩像、弘法大師像を、また地蔵堂には地蔵菩薩立像をそれぞれ祀ります。 本寺に伝えられる鎌倉時代の行基画像は、行基 13才の有髪絵画で全国的にも例がなく、毎年旧暦の2月2日の命日に掲示してお勤めが行われます。 『家原寺』の奥の院にあたる。
JR西日本『津久野』駅 から徒歩20分 、または、^ ^泉北高速線「深井」駅より南海バス
無し