龍泉寺の創建は天文元年(1532年)。今よりおよそ470年程前である。鎌倉時代から戦国末期まで長崎県や佐賀県西部に割拠した松浦党の流れをくむ豪族、松浦丹後守親の祈願寺として建てられた。寺は最初、松浦党の居城、有田唐船城の城域内にあった。
天正四年(1576年)、唐船城が龍造寺隆信の軍門に下ったため、城は廃されたが寺は残り、江戸時代中期に現地に移された。
万治年中(1658年)肥前の国有田郷は大旱魃に見舞われ山野の草木はことごとく枯死寸前となりしとき、龍泉寺の中興開山尊映法印故実にのっとり雨乞の祈願を立て八大龍王に法楽をあげまた大里村(伊万里)の海辺にこぞって雨乞の浮立を行った。
尊映法印の法力により効果はてきめん、満願の日一天にわかにかき曇り大雨降り百穀百草皆よみがえり、役人も百姓も一緒になって舞踊り大願成就を祝った。この折の浮立は後に肥前浮立の粋を集めて鍋島藩初期、竜泉寺雨乞浮立として大成された。龍泉寺の本尊聖観音菩薩の佛祭日18日に因み、毎年8月18日の夜は若者の勇壮な一番鐘打ち、地囃子打ちなどが相まって浮立と花火の賑やかで楽しい「十八夜祭」として永年近郷の人々に親しまれている。