「福原西国霊場」第15番札所。
当寺は、もとは烏原村にあったが、全村水道貯水池となるため、明治35年(1902)に現在地に移転した。
天平時代に、行基菩薩が烏原村に観自在菩薩を安置し、観音寺と号したのが始まりである。
400年後、法然上人の弟子、住蓮坊が復興し、無量寿仏を安置し願成寺と名付けた。
建永元年(1206)10月、同門の安楽とともに、京の鹿ケ谷に別時念仏を修した。
後鳥羽上皇の官女、松虫・鈴虫が、ひそかに法会に参り、感激のあまり落髪して出家してしまった。上皇は大いに怒り、法然は土佐へ、親鸞は越後へ配流し、住蓮は安楽とともに、承元元年(1207)3月9日、滋賀県蒲生郡馬淵において斬罪に処せられた。世に有名な法難事件である。
また境内には、平通盛とその妻の小宰相局の供養塔があり、また小宰相の念持仏が安置されている。
この塔は、局の乳母呉葉が建てたもので、呉葉は住蓮坊の縁者であったので、願成寺に来て供養したのである。
寿永3年(1184)2月7日、権中納言平教盛の子である平通盛は、湊川の堤にて、佐々木俊綱に討たれた。小宰相は夫の死を聞き、阿波の鳴戸の沖に入水して果てた。
この夫婦愛を顕彰し、また、これにあやかってもらおうと、当寺では毎年2月14日(バレンタインデー)に恋愛成就祈願法要を営んでいる。
(注:平成元年発行の福原西国霊場宝印帳の願成寺由緒より)