かじはちまんしゃ
新潟県新発田市早道場
加治八幡社は、文治元年(1185年)に近江源氏佐々木三郎盛綱公が源平合戦の功により加地庄を賜り、以来氏神として祀られました。その後、加地庄の没収、盛綱の越後移住を経て、幕府反抗勢力の鎮圧の功により再..
加治八幡社は、文治元年(1185年)に近江源氏佐々木三郎盛綱公が源平合戦の功により加地庄を賜り、以来氏神として祀られました。その後、加地庄の没収、盛綱の越後移住を経て、幕府反抗勢力の鎮圧の功により再び加地庄を与えられ、建仁元年(1201年)に加地里館を再建。建水元年(1206年)に館の一隅に近江八幡宮・鎌倉鶴岡八幡宮・備前熊野大権現の三社を祖神とする加地若宮八幡宮を創建しました。 その後、長二年(1597年)には上杉景勝により加地家が断絶し、八幡宮は加地領民の総鎮守として受け継がれましたが、明和四年(1767年)の大火により焼失。宿場町復興と共に小社として再建されました。明治維新期には二日市宿・本陣宿場町・三日市湊の全廃により、八幡宮も衰退の一途を辿りました。 昭和20年の終戦後、新農地法により資産を失い、占領政策による三日市神明社との強制合併に伴い社名を「加治八幡社」と改名。昭和61年には老朽化した社殿が加治区民の総意と篤志家の賛助により改築され、現在に至っています。
9月第2土曜日宵宮祭、翌日の日曜日が本宮祭
加治バス停より徒歩1分
なし