打吹城は室町時代初期、伯耆守護・山名時氏の嫡男である山名師義が田内城から守護所を移すために築いた城です。以後、戦国時代まで約200年の間、山名氏の居城として使われました。尼子氏の侵攻によって落城したあとは、南条氏や毛利氏の支配下に入りますが、「関ケ原の戦い」後には米子城主・中村一忠の家臣である中村伊豆守が城番として置かれました。1615年(元和元年)の一国一城令で打吹城は廃城となり、破却されましたが、1632年(寛永9)に池田光仲が池田光政と替わって鳥取城に入った際に、荒尾嵩就が家老としてこの地を預り、打吹山麓に陣屋(倉吉陣屋)を築きました。現在は山頂部と中腹に曲輪跡が残り、越中丸展望所には模擬櫓が建てられています。