へぐりにますきのうじじんじゃ
奈良県生駒郡平群町上庄5-1-1
紀氏神については、『類聚国史』において天長元年(824年)8月21日に紀百継・紀末成らの奏聞で「紀氏神」が幣帛の例に預かった旨が見える。また『日本紀略』において、天長6年(829年)4月16日に山城..
紀氏神については、『類聚国史』において天長元年(824年)8月21日に紀百継・紀末成らの奏聞で「紀氏神」が幣帛の例に預かった旨が見える。また『日本紀略』において、天長6年(829年)4月16日に山城国愛宕郡の丘一処が紀百継に下賜されて神地となったと見える。 貞観12年(870年)の文書では「平群東条一平群里」の13坪・14坪の地が石川真主から紀春世に売却された旨とともに、保証刀禰のうちに紀氏世・紀本男の名が見える。また平群里13坪・14坪の南に接して「紀氏神地」があると見えることから、当時には現社地から南約2.5キロメートルの平群町椿井に所在したとされる。 延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では大和国平群郡に「平群坐紀氏神社 名神大 月次新嘗」と記載され、名神大社に列するとともに、朝廷の月次祭・新嘗祭では幣帛に預かる旨が記載されている。また『延喜式』臨時祭の名神祭条においても、幣帛を受ける神々のうちに平群坐紀氏神社一座の記載が見える。 近世には「辻の宮」または「椿の宮」とも俗称された[3]。また江戸時代初期の石灯籠には「春日大明神」と見える。 明治維新後、明治6年(1873年)に近代社格制度において村社に列している。
平群坐紀氏神社(へぐりにますきのうじじんじゃ)は、奈良県生駒郡平群町にある神社である。式内社(名神大)で、旧社格は村社。単に紀氏神社ともいう。現在は天照大神・天児屋根命・都久宿禰・八幡大菩薩を祭神としている。
名神大社 村社
不詳
春日造
紀氏神社
10月第1日曜日