ふもんじ
静岡県掛川市西大谷6429
遠州には数少ない比叡山延暦寺の直末、天台宗の寺院で、藤の寺とも呼ばれている。 西暦704年(慶雲元年)文武天皇の勅命により、時の高僧行基の開山と伝えられ、千手観音菩薩をご本尊とする法相宗であった。..
遠州には数少ない比叡山延暦寺の直末、天台宗の寺院で、藤の寺とも呼ばれている。 西暦704年(慶雲元年)文武天皇の勅命により、時の高僧行基の開山と伝えられ、千手観音菩薩をご本尊とする法相宗であった。後、当山十三世住職慈光の時、慈覚大師円仁により天台宗比叡山の一門となった。 その後、1177年(治承元年)当山五十世尊融のとき平重盛(清盛の長男)は、高倉天皇の勅を受け、遠州灘の海上安全と船中無難を祈願する為、伝教大師作の聖観世音菩薩と眷属三十三観音並びに安芸の宮島より弁財天を当山に安置し諸堂も再建した。 その後、時は下り1558年(戦国時代)、永禄・元亀の兵乱で諸堂大半が消失し、衆徒も信州に逃れた。1575年(天正三年)中坊の住職豪憲が帰山し門前百姓及び衆徒を呼び集め住居させた。その後、初代横須賀城主、大須賀康高侯により諸堂が再建され、これを中興とし、徳川期には寺領三十七石を受けた。 1797年(寛政九年)西国三十三観音霊場を山内に勧請し、維持管理には近郊町内自治会又、個人が代々施主となり、今日では観音様の遊歩道として多くの市民より信仰を受ける。又、明治十七年6月、時の住職善海並びに近郊一町二十村の男女有志111名が徒歩にて、信州より善光寺如来ご分身を山内に勧請し、静岡の善光寺とした。堂内設置の道中旅姿木製特大絵図は、ちょんまげ姿の同行者実名入りで、当時を偲ばせる見事な大作である。
普門寺(ふもんじ)は、静岡県掛川市西大渕にある天台宗の寺院。