みまさかこくぶんじ
岡山県津山市国分寺483
天平九年(737年)、四十五代聖武天皇の詔により国家安穏、五穀豊穣を願い、国毎に国分寺を造ることとなりました。時の美作の守(かみ)阿部帯麻呂(あべのおびまろ)は吉備の僧、宥玄(ゆうげん)に国分寺を建..
天平九年(737年)、四十五代聖武天皇の詔により国家安穏、五穀豊穣を願い、国毎に国分寺を造ることとなりました。時の美作の守(かみ)阿部帯麻呂(あべのおびまろ)は吉備の僧、宥玄(ゆうげん)に国分寺を建てる場所を探すよう命じました。その場所を探していた宥玄が川辺に泊まっていたある夜、一人の僧が夢に現れてこう言いました。「私はここから辰巳の方角にある山に住む観音の守りである。わが山の麓に清泉が湧き出るところがあり、この水底には龍がとぐろを巻いている。この水を飲む者は長寿延命である。ここに国分寺を建立しなさい。」翌朝、宥玄が川辺から辰巳の方角を見てみると、山林の中から紫色の煙が、まるで龍が天に昇るかのごとく立ちのぼっていました。急いでその辺りへ行ってみると、観音の祠(ほこら)があり、その山の麓には清泉が湧き、その水底には金の龍がとぐろを巻いているような形が見えたのでした。宥玄はこの地を霊地と崇め、お寺の山号を「龍壽山」(りゅうじゅさん)と名付け、国分寺を建立しました。
美作国分寺(みまさかこくぶんじ)は、岡山県津山市にある天台宗の寺院。山号は龍壽山。本尊は薬師如来。奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、美作国国分寺の後継寺院にあたる。
龍壽山
天台宗
薬師如来
中国道津山I.C.から車で約10分