本神社の創立年月日は不詳と雖も、旧記正一位白山大権現社は清和天皇の御宇、貞観十八年(876)に勧請、元慶八年(884)、社殿を建立とある。
其後、応安年中に社殿の一切を焼失するも、後小松天皇の御宇 喜慶二年(1389)再建せらる。天正年間(1573~)には、毛利輝元公より神田を賜る。慶長年間(1596~)、吉川廣家公、雲州富田の庄より當地に移封されてより封内の鎮守と仰ぎ、吉川家歴世の産土神として崇敬せらる。
元禄七年(1695)大鳥居の建立、享保年間(1716~)社殿の大造営、同十三年(1729)に神社林として城山の一部を奉納等歴代の藩主の尊崇厚し。
明治六年十一月縣社に列せらる。
當時の社殿は壮麗豪華にして工作の妙を極め殊に拝殿、櫻門の如きは精彩粉飾を盡くし関西の東照宮と云い伝えられていたが、惜しくも明治二十三年十月二十三日(1890)神殿、拝殿、回廊、櫻門等の建造物を悉く灰燼に帰す。(當時の神殿の寫眞は拝殿正面に掲げあり)
神社は安産の神として古より崇敬者多く氏子内には難産の有りし事無し。安産の御守りは社務所に授與す。(境内由緒板より)