かさいしじんじゃ
栃木県大田原市湯津上430
1676年、磐城の僧侶円順により、うつ伏せに埋没していた古い石碑が発見され、名主の大金重貞より、当地を領有していた水戸藩へ報告された。 碑の存在を知った藩主徳川光圀は家臣に碑文の調査を命じた。 ..
1676年、磐城の僧侶円順により、うつ伏せに埋没していた古い石碑が発見され、名主の大金重貞より、当地を領有していた水戸藩へ報告された。 碑の存在を知った藩主徳川光圀は家臣に碑文の調査を命じた。 解読の結果、碑は古代豪族の那須氏によって飛鳥時代に建碑された顕彰碑であることが判明。 碑の周囲にある古墳(上侍塚古墳、下侍塚古墳)を碑文に登場する那須氏父子の墓と推定し、発掘調査を実施したが、碑に繋がる手掛かりは見つからなかった。 古墳から見つかった遺物は寸法を測り、絵師に描かせて詳細に記録された後、杉箱に入れて元通り埋め戻された。墳丘は崩壊を防ぐため松が植樹された。これは日本考古学史上初の学術調査及び文化財保護活動である。 1691年、光圀は碑を保護するため御堂を建てさせ、1692年に碑を御神体とする笠石神社が創建された。 碑文には唐の年号永昌元年(689年)と記されており、4世紀末と推定される両古墳の築造年代から300年の開きがある。 碑は1952年に書道史上の観点から重要性が認められ、那須国造碑として国宝に指定された。 多賀城碑、多胡碑とともに日本三古碑の一つに数えられている。
1692年、徳川光圀によって創建された、那須国造碑を御神体とする神社。
那須國造直韋提命
那須国造碑
無社格
1692年
3/15例大祭
那須国造碑(国宝)
笠石神社交差点バス停下車すぐ
那須国造碑拝観料¥500
あり