かんのんじ
京都府福知山市大江町南山963
草創時期などについては、寺伝によれば和銅7年行基の開基にかかり、行基が大和国室生山で長谷寺[の本尊の余木で十一面観音像を彫り、観音寺の本尊としたという。 近世には領主京極氏より寺領の安堵を受け、田..
草創時期などについては、寺伝によれば和銅7年行基の開基にかかり、行基が大和国室生山で長谷寺[の本尊の余木で十一面観音像を彫り、観音寺の本尊としたという。 近世には領主京極氏より寺領の安堵を受け、田辺藩主牧野氏からも寺領を寄進されている。 北丹の観音霊場として知られた。文化11年(1814)配札と修行の途次当地を通った野田泉光院は南山村を訪れ、「日本九峰修行日記」12月23日条に 「直ちに室尾山観音に詣づ、仁王門より二丁半登る、本堂六間四面寺内六軒許り納経す」と記している。 その後寺運衰退、貞永2年(1233)蓮乗が再興、盛時には塔頭が11坊あったという。
室尾谷山
高野山真言宗
和銅7年
十一面観音
行基
近畿楽寿観音第20番
無料
有り