わにしたじんじゃ
奈良県天理市櫟本町2430
櫟本の町中を流れている高瀬川に沿った長い参道があって、東の治道山に鎮座、寿永2年(1183)藤原清輔の弟顕昭(けんしょう)が著わした『柿本朝臣勘文』によると、「清輔が語っていうに、大和国へ下向した時..
櫟本の町中を流れている高瀬川に沿った長い参道があって、東の治道山に鎮座、寿永2年(1183)藤原清輔の弟顕昭(けんしょう)が著わした『柿本朝臣勘文』によると、「清輔が語っていうに、大和国へ下向した時、古老から聞いたが、添上郡石上村の傍らに社があり、春道社という。その中に寺があって柿本寺といい、人丸の堂である。その前の田の中に小塚があって人丸墓という」意味の記事があり、この記事により石上村の付近に治道の森があり、治道社(春道社)と柿本寺があったことがわかる。『東大寺要録』には、「神護景雲3年(769)東大寺領の櫟庄に水を引くために、高瀬川の水路を今の参道に沿った線に移し、道も新しく、まっすぐに造られた。 この社は東大寺山丘陵の西に位置する古墳の上に祀られていて櫟本地方にいた豪族の氏神であったが、今は櫟本の鎮守である。 御祭神は素盞鳴命(すさのおのみこと)を祀っているので牛頭天王社ともいわれ、ここに建てられた柿本寺との関係で柿本上宮ともいわれた。明治初年に延喜式内の和爾下神社に当ると考証されて社名を和爾下神社と定められた。
素盞鳴命(すさのおのみこと)
式内社
桁行三間、梁間二間、一重、切妻造、向拝一間、檜皮葺、桃山時代の様式
上治道天皇社 牛頭天皇社
古建築として昭和13年国宝に指定、現在重要文化財に指定
無料
無し