とくもちじんじゃ
東京都大田区池上3丁目38番17号
当社の創建は、建長年間(1249〜1255)に、豊前(現在の大分県)の宇佐神宮よりご分霊を勧請したと伝えられています。荏原郡池上村大字徳持の住民の守護神として崇敬され、古くは社の管理をしていたのが..
当社の創建は、建長年間(1249〜1255)に、豊前(現在の大分県)の宇佐神宮よりご分霊を勧請したと伝えられています。荏原郡池上村大字徳持の住民の守護神として崇敬され、古くは社の管理をしていたのが徳乗院(御旗山真勝寺)であったことから、御旗山八幡宮とも称されました。もともとは、徳持の本村地区(現池上7丁目曹禅寺付近)に鎮座しておりましたが、明治39年(1906)に池上競馬場建設のため、千本松と呼ばれていた現在地(旧大字徳持809番地)に遷座しました。 明治41年5月に再建されると、同年9月15日に上宿地区(現池上図書館付近)に鎮座しておりました稲荷神社を合祀し、八幡神社の社名を德持神社に改称いたしました。 大東亜戦争中、惜しくも社殿が空襲により失われたため、焼失を免れた境内末社を本殿跡に移転し、昭和23年(1948)4月、德持神社奉賛会を設立。24年8月に仮社殿を建設し、29年8月には社務所を建設、同年境内を整備・植樹しました。 昭和34年5月、社殿復興のため德持神社復興会を設立、39年2月起工式、同年8月に上棟祭、40年8月に正遷座祭が斎行され、昭和41年9月3日に竣功奉祝祭を行い、八幡造の社殿が復興されました。 創建から約750年、今も変わらず池上徳持の地に鎮座し、人々の暮らしをお護りいただいております。
当社の創建は、建長年間(1249〜1255)に、豊前(現在の大分県)の宇佐神宮よりご分霊を勧請したと伝えられています。荏原郡池上村大字徳持の住民の守護神として崇敬され、古くは社の管理をしていたのが徳乗院(御旗山真勝寺)であったことか...
誉田別之命
建長年間(1249〜1255)
例大祭 7月20日前後の土•日
東急池上線「池上駅」より 徒歩5分
有り