にしみかどしらはたじんじゃ
神奈川県鎌倉市西御門2-1-24
この地はもと源頼朝公居館(幕府)の北隅で持仏堂があり、石橋山の合戦にあたって髪の中に納めて戦ったという小さな観音像が安置され頼朝公が篤く信仰していた。 正治元年(1199)1月13日頼朝公が亡くな..
この地はもと源頼朝公居館(幕府)の北隅で持仏堂があり、石橋山の合戦にあたって髪の中に納めて戦ったという小さな観音像が安置され頼朝公が篤く信仰していた。 正治元年(1199)1月13日頼朝公が亡くなるとここに葬り法華堂と呼ばれ毎年命日には将軍が参詣し仏事を執り行い多くの武将も参列した。 その後鶴岡八幡宮の供僧「相承院」が奉仕して祭祀を続け、明治維新に際し寺は白旗神社に改められ源頼朝公を祭神として今日に至っている。 現在の社殿は明治維新百年を記念して昭和四十五年に源頼朝公報恩会の方々の篤志によって造営されたものである。(境内掲示より)
源頼朝公
源頼朝の墓