だいきょうじ
大分県臼杵市福良平清水115
往昔、南都(奈良)東大寺の子院西方寺の僧であった祐範上人が、本尊の阿弥陀如来を奉戴して西国を遍歴し天文17年(1548)臼杵に至り、臼杵七島の一つである「産ヶ島」(新地)に庵を結び、専ら念仏を行い行..
往昔、南都(奈良)東大寺の子院西方寺の僧であった祐範上人が、本尊の阿弥陀如来を奉戴して西国を遍歴し天文17年(1548)臼杵に至り、臼杵七島の一つである「産ヶ島」(新地)に庵を結び、専ら念仏を行い行業清高なため人々に慕われました。時の国主大友宗麟が上人に帰依し、精舎を建立しました。上人を開山として法雲山西方寺と号した。その後人々の参詣の便宜を図るために、「産ヶ島」から掛町に一大長橋を架けたことで人々は「大橋寺」と呼ぶようになり、それが寺号となりました。寛永5年(1628)、第3代臼杵藩主稲葉一通公より森島(臼杵七島の一つ)を賜り、現在に至っています。(臼杵八ヶ所霊場パンフレットより引用)
法雲山
浄土宗
西山禅林寺派
1548年(天文17年)
阿弥陀如来
祐範上人
臼杵八ヶ所霊場 第6番札所
臼杵ICより車で約10分
有り