みやおはちまんぐう
山口県宇部市西万倉1774
言い伝えによれば神宮皇后の三韓征伐の折、皇后は神元(ジンガ)の里の小高い山の上にお座りになり、一望を見渡し船の材料として船木にそびえる大楠木をご要望された。しかし里の人は大楠木の小枝を日々の煮炊..
言い伝えによれば神宮皇后の三韓征伐の折、皇后は神元(ジンガ)の里の小高い山の上にお座りになり、一望を見渡し船の材料として船木にそびえる大楠木をご要望された。しかし里の人は大楠木の小枝を日々の煮炊きに利用していたので、大変困り思案していたところ、そこに白髪の老人が現れ、里人の生活には、燃える木(石炭)が出土するであろうとお諭(さと)しになり、里人は喜んでこの大楠木を献上したといわれる。里人の生活は石炭のおかげで大変豊かになり、この宮尾八幡宮を建立したといわれる。史実によれば1352年(南北朝、大内氏時代)厚東(コトウ)の城主越後守義武(エチゴノカミヨシタケ)氏が宇佐より勧請。現在の建物の神殿部分は1816年に、拝殿部分は1876年建造されたものです。又明治40年宗像三神が合祀されています。即ちこの土地の氏神さまです。
応神天皇・仲哀天皇・神功皇后