ほうざんじ
愛知県知多郡美浜町野間田上50番地
神亀年間、この地を訪れた行基が山上に優曇華が咲き乱れるのを見て、衆生済度を祈願して薬師如来像を刻み、一堂を建立して奉安したのが始まりとされる。弘仁年間には空海が留錫し、密厳秘修を行ったという[1]。..
神亀年間、この地を訪れた行基が山上に優曇華が咲き乱れるのを見て、衆生済度を祈願して薬師如来像を刻み、一堂を建立して奉安したのが始まりとされる。弘仁年間には空海が留錫し、密厳秘修を行ったという[1]。正和年間には、夢窓疎石(夢窓国師)によって七堂伽藍が整えられた[1]。寺のそばには御湯殿跡があり、平治2年(1160年)、源義朝が入浴中に長田忠致・景致親子に殺害された場所と伝わる。
曇華山
臨済宗
天龍寺派
725年(神亀2年)
御湯殿薬師如来
行基
知多四国八十八箇所 第55番札
名鉄知多新線、野間駅より徒歩5分