せいけんじ
群馬県吾妻郡中之条町大字中之条746
清見寺は群馬県吾妻郡中之条町大字中之条にある浄土宗の寺院。 正式名称は「長岡山 安養院 清見寺」と号する。 創建は室町時代後期の長禄二年(1458年)、浄誉西現上人によって、当初は西中之条の地に..
清見寺は群馬県吾妻郡中之条町大字中之条にある浄土宗の寺院。 正式名称は「長岡山 安養院 清見寺」と号する。 創建は室町時代後期の長禄二年(1458年)、浄誉西現上人によって、当初は西中之条の地に開創されたといい、創建当時は「西見寺」と称していた。 戦国時代の世となり吾妻地方も激しい戦乱の地と化し、荒廃の傷跡が各地に刻まれ、清見寺も永禄年間(1558-1569)焼失したと云われている。 その後、浄土宗大本山智恩寺の法脈を継ぐ、崇誉岌山上人が中興開山をなし、中興開基は豪族鹿野和泉守と云われている。中興時は慶長元年(1569年)で武田勢の家臣として活躍した。
吾妻の地で繰り返された戦乱も、徳川家康により、戦国乱世も終息した。元和元年(1615年)岩櫃城が一国一城令で廃城となり、その後、真田氏の町割りで、信州上田に通じる関係か中之条は道筋をはさみ、新しい町割りが形成された。その時に西中之条から西見寺も現在の地に移転。 正徳年間(1711-1715)の西見寺三世諦誉専悦上人の代に寺号を「清見寺」と改めた。 八世寒誉上人の代である宝暦年間(1751-1763)に本堂・宮殿・庫裡と梵鐘・仏具まで整う大伽藍に発展させ、名実ともに吾妻地域の名刹となったという。
明治時代を迎えて、中之条小学校として使用され、近代教育の産声も清見寺から生まれ、平成八年(1996年)には再興四百年を記念して、先人の遺徳をたたえ、恒久平和・交通安全・諸願成就等を祈願し、北部一番の身丈十八尺(約5.5m)の大聖観世音菩薩像が檀信徒の尽力にて建立された。(新上州観音霊場三十三カ所、中之条町観光協会の案内を要約しました。)
長岡山
安養院
浄土宗
長禄2年(1458年)
阿弥陀如来 札所本尊:聖観世音菩薩
浄誉西現
慶長元年(1596年)
崇誉笈山和尚
長岡山 安養院 清見寺
上州三十三観音霊場 二十六番札所
清見寺の境内木(中之条町指定天然記念物)
なし
あり